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武術の才能

武術の才能

稽古をするうちに、才能の有無を気にする人がいる。
でも、『武術の才能』なんてニッチな代物、持ち合わせてる人は滅多にいない。
優れて見える人も、大抵は他の資質を転用して上達に繋げてる。
身体が大きい、運動神経が良い、度胸がある、地味な基礎練習に耐えられる…人にはいろんな才がある。
僕の場合は頭脳だった。
身体的な才にはさして恵まれなかったが、頭は並外れて良かったので、師の見せてくれた技術を体系立てて解釈することができた。

本当の意味で武才がある、と感じた稽古仲間はかつて一人だけいる。
体格は僕と同程度、その時点ではズバ抜けて技量が高いわけではなかったが、稽古の発想が並みでなかった。
単純な動作一つの質をどう改良すべきか、そのためにどんな修練を繰り返せば良いか、そういう閃きを生み出せる才覚があった。
しばらく師匠の下で共に稽古し、じきに離れていってしまったが…あの人、武道もうやってないのかなあ。


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古武道とフルコン

古武道とフルコン

我々の本分は剣を用いての古武道だけれど、少年部においてはフルコンタクト空手の練習法をちょっぴり取り入れている。
とはいえ僕自身が本格的に空手を学んだわけでもないので、基礎的なミット打ちの類くらいなのだが、それでも子供たちが得られるところはすごく多い。

己の拳足を思い切り叩きつける。
ミット越しとはいえ打たれた方も、打った方もそれなりに痛い。
木刀の剣術では慎重にならざるを得ない、全力を乗せた打ち込みが体感できる。
威力の増大という確かな上達の実感が、生の皮膚感覚で味わえるのは大きい。
それに侍の時代じゃあるまいし、例えば彼らが学校で出くわすトラブルから身を護ってくれるのは、剣よりも徒手の格闘技術であることの方が多いだろう。

時折僕が犠牲になって、ミットなしの生身を好き放題に殴る、蹴る練習をさせてやることもある。
初めは躊躇していた子も、次第に遠慮のない重い打撃を当てられるようになっていく。
無闇に暴力を振るわないのと、ただ人間を打つ度胸がないのは違う。
彼らの成長が嬉しいんだけど、先生アザだらけ。


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時間を止めない

自分と相手の時間軸が平等に流れない稽古はしたくない。
相手の剣を受け止めた後、自分だけもぞもぞ動いて位置を微調整したり。
腕を取って背後に回り込む間、相手の時間が止まったように棒立ちになっていたり。

型とは特定の技術を身に付けるために設定された条件であるから、何でも自由攻防のように反応していいわけではない。
それでも自分が一手指す時には相手にも同じだけの猶予が与えられている、ということを忘れてはいけない。
そういう稽古は物理的な技術を身に付ける助けにはいくらかなるかもしれないが、最も肝心な間の感性が狂う。


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真剣の手入れ

真剣というものは常に油が塗ってある。
鉄製の刀は水分や酸素と反応して簡単に錆びてしまうので、表面を油膜で覆って保護しているわけだ。
なので日常の手入れといえば、基本的にはその油を古いものから新しいものへと引き換えてやることを指す。
普段は稽古で使うたびに刀身に油を引いてやるだけでいいんだけど、時々は内部までしっかり手入れしてやる必要がある。

まずは目釘(めくぎ)を抜いて刀を分解する。
日本刀の各部品って、実は太さ数ミリのちっちゃな竹の棒一本で固定されてる。

真剣の手入れ①


バラバラになった。
左上から順に鞘、刀身、鎺(はばき)、切羽(せっぱ)、鍔(つば)、切羽、目釘、柄(つか)。

真剣の手入れ②


まずは普段は柄の中に隠れている茎(なかご)の部分のお手入れ。
ティッシュで古い油や汚れを拭き取り、新しい油を染み込ませた脱脂綿を引いてやる。

真剣の手入れ③


柄を元通り組み立ててから、刀身部分も同様に油を引き換える。
あっという間だけどこれで完了。
湿気の多い季節は怖いから、マメにお手入れしなくっちゃ。

真剣の手入れ④


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ジムで鍛える

ジム

最近、週1くらいのペースで近所の市立体育館のトレーニングジムに通っている。
マシンのみでフリーウエイト(バーベルとかダンベルとか)が一切無いためか、本気のマッチョの方はほぼおらず、健康目的の中高年が主な客層というのんびりした雰囲気だ。

さて、武術家は筋トレをすべきであるか? というのはしばしば投げかけられる問いである。
曰くちゃんと稽古をしていればそれで充分、不自然に鍛えれば技の質が落ちる、などと言う人もいる。

あれこれ試みた上で僕の意見としては、少なくとも現代の武術家はちっとは鍛えた方がいいんじゃないか、と思う。
いくら力に頼らないと言ったって、江戸から京都まで歩いて行っちゃう時代の人とはそもそもの土台が違い過ぎる。
毎日肉体労働してるような人ならともかく、大抵の現代人は相当熱心に鍛えてようやくあの時代の及第点といったところ、じゃないかなあ。


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0123はらっぱまつりに参加しました

0123はらっぱまつりに参加しました①

市の児童館主催のイベントにて、『親子で古武道を楽しもう!』と題して講師を務めてきました。
参加者は親子10組、これまで0歳児連れに教えたことなんかないもので随分とドキドキしました。
まあどうにか楽しく、古武道の不思議な世界を紹介できたんじゃないかな。
施設職員の皆さん、どうもありがとうございました。

↑上の写真は園長さんと。

0123はらっぱまつりに参加しました②


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第八回集中稽古会



半年に一度開催している、丸一日がかりの集中稽古会。
今回のテーマは『共に上達する』。
たとえ実力差のある格下相手の稽古でも、しっかりと型の要求するところを知り、両者ともに進化していける取り組み方を身に付けること。
これを怠ると、磨いた腕も簡単に錆びていく。


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子供同士の剣術

子供同士の剣術

以前、『木刀は危ない』の記事に、少年部の稽古において木刀を用いることの危険性について書いた。
当時は剣の相手は必ず大人が務めるようにしていたが、ここ半年、ついに子供同士での剣術稽古を解禁している。

最初は本人たちは大喜び、見守るこっちはハラハラしっぱなしだった。
まずは剣の扱いに慣れてきた先輩二人に、型を導く打太刀(うちだち)のやり方を教えて後輩の相手をさせる。
覚える型は何日もかけて一つずつ、すぐに気が急く彼らを抑えてとにかく丁寧にゆっくりと。
頭に木刀をもらってこぶを作るくらいのことは幾度かあったが、どうにか大きな事故もなく基本型六本をこなせるようになった。

大人相手の稽古なら多少の無茶も受け止めてもらえたが、小学生同士ではしっかりと自分の剣を制御できないといけない。
厳しい攻防と、無闇に危険な稽古の違い。
妙味を楽しむというところまではまだまだだが、自分たちで型を作っていく、という意味は何となく感じ取ってくれているようだ。


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膝行(しっこう)

膝行

その名の通り、座したままで前進・後退する移動法のこと。
合気道や茶道、小笠原流礼法にも同名の所作があるようだ。
元々は目上の相手が座っている前へ参上する際、上から見下ろしながら近づく無礼を犯さないために生まれた、と言われている。

とはいえ、天皇陛下でも立って迎えてくれたりする今日では実用的な意味合いは薄い。
それでもあえて膝行を稽古に取り入れているのは、そこに武術的な訓練効果があるからだ。
低い姿勢で動いて足腰の鍛錬?
違う。

僕らにとっての膝行は、あえて脚力に頼りづらい体勢を取ることで、脚遣いを根本から作り変えることにある。
自分の脚はどこから生えているのか、どこから動かすべきなのか?
それまでいかに筋力に頼って歩いていたかを知り、正座してもなお自在に遣える本当の脚とは何なのか、を再発見する。
脚を動かすために、脚を以てしない。

膝行

でも、膝サポーターは着けてる。
達人になる前に膝壊しちゃったら元も子もないからね。


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確かに打つ

大きく動く

ホームページに載せるため、久々に自分の動きを撮影してみたのだが、大いに反省するところがあった。
いつの間にやら、相手に合わせてほどほどで加減する癖がついている。
始めから型を成立させることを前提にした打ち込みは、真実味に欠けて見ていられたものじゃない。

動きは大きく、豪放に。
剣も身体も小さくしか遣わないのなら、動きが見えないのは当たり前だ。
大胆な動作が消えるからこそ怖いのだ。


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プロフィール

ピンクさむらい

Author:ピンクさむらい
東京都武蔵野市にて、古武道萬葉塾を主宰。

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