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ぶつからない

ぶつからない

ぶつからない動きとは、ぶつかりを避けることではなく、ぶつかっていない箇所を活かすこと。
霊厳洞の教えがようやく腑に落ちた。


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半身

半身

純度100%の右半身ないし左半身は、裏を返せばもう一方の半身がまるで仕事をしていないということになる。
大切なのは同時に逆を活かすこと。
右は左を、左は右をそれぞれ内包する。
突き詰めれば正眼に至る。


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間と中心

常時抑えを外さないこと。
圧が逸れれば間を取られる。
中心と間とは不可分。
付けに基づかない勘頼みの粗野な間を、萬葉塾では恃まない。


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消える動き

人間の動きは消えない。
迫りくる剣や拳足の動きが消えるわけがない。
さっきまであったものが急に消えることでかえって感づかれるということもある。
消えるはずのないものを消すために、消してはいけないものを消さないことを考える。


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やり過ぎる

初心の内は動作は大きく、くっきりはっきり。
目的をしっかりと意識して、明確に身体を遣う。

だけど上達するにつれ、これまで固まっていたあちこちが少しずつ巧く遣えるようになり、気張らなくても心身が最良の方向を探るようになってくる。
そうなってきたら、今度は身体の動きを、やろうという意識を、控えていかなくてはいけない。
自身の成長を見積もりに含めず、いつまでも初心の時と同じように外形の動きに頼っていたら、単純な足し算として出てくる結果はやり過ぎになる。

心身の状態が変わっていけば、ベストを出すために必要なものも刻々と変わっていく。
上達の秘訣は、昨日の自分と同じ水準で稽古ができると思わないこと。


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納刀

納刀

抜き放った刀を再び鞘に納める動作を『納刀(のうとう)』と呼ぶ。

型稽古を実戦の模擬としてのみ捉えるなら、納刀に心を配る意義は薄い。
相手をすでに斬り伏せているなら隙のない所作を心掛ける必要はないし、そもそも人を斬った刃を拭いもせずに鞘に戻すわけにはいかない。

それでも納刀は、抜刀と同じだけの丹念さをもって行なわれなければならない。
抜くも納めるも違いはなく、ともに同じく心身の遣い方を精錬してゆく稽古の過程だからだ。
もしも丁寧な抜刀を千回行ない、その間雑な納刀を千回繰り返していたとしたら、稽古を終える頃にはその人の技量は始める前より落ちているだろう。
かつて、同門の稽古者でせっかく身につけた技を錆びさせてしまった人を目の当たりにしたことがあるが、やはり居合稽古の際の抜刀に比べてあまりに無頓着な納刀が気にかかった。
日頃どれだけ細部にまで神経を行き届かせて鍛錬しているか、稽古に向き合うその人の姿勢がこういう所に現れる。

納刀の乱れは心の乱れ。


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三戦(サンチン)…?

三戦

昨晩柔術の研究中に、稽古相手の助言からふと思い至って古伝空手の立ち方、三戦を取り入れてみた。
とはいえ空手はほんの少し齧った程度、本職の方にはそりゃなんだと叱られてしまうような代物だろうが、あれこれ試みるうちに剣に通じるヒントは大いに拾い得た。

下半身を肚から閉じる感覚。
力を抜き切った脚部から相手の中心へと線を定める意識。
緩みの中にいかに締めを合わせ持たせ、斬りに身体を入れてゆけるか。
三戦からの学びは剣で言うところの正眼に酷似している。

…しかしまあ、改めて見ると全然三戦に見えないな、これ。
古武道への応用ということでご容赦頂きたい。


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受ける

uke01

萬葉塾の基準においては、相手が出力した以外の力をつけ加えてしまったら、それは基本的には悪い受けになる。

力んで固める、自分から転がる、身体を捩って逃がす、禁忌とされる行動は多々あれどどれも根は同じ、相手が与えてくる力に余計なものを添加しない、というその一点に尽きる。
ただただ、掛け手の力の鏡になる。

受けは技術ではなく、柔らかな心身の状態そのもの。


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10年の節目

古武道の門を叩いた日から、今日でちょうど10年になる。

10年前の8月1日、緊張しながら師の稽古会を訪ねた時、室内には師の他にすでに先輩が二人いた。
まだ稽古まで時間があったので、色々と基本を教えてもらい、なぜか勢い余った先輩に顔面チョップを喰らわされたのを覚えている。
その日の稽古は自分の理解をまるで超えることの連続で、その場にいる全員が遥か遠い達人のように見えた。

あの頃はいずれ師の下を離れ、自分の団体を持って独立することになるなんて夢にも思わなかった。
今になってみれば、それが良かったのだ。
自分自身に将来の目標を課さず、ただ上達のみを義務としていたからこそ、週に6日の稽古場通い、昼間はひたすらに自主練という日々に没頭できた。

初めて独立を意識したのは入門から3年が経つ頃、当時師範代を務めていた大先輩が独立すると発表があった時だ。
それまではなぜか、一門の長になるなんて普通の人間がやろうと思ってできることではないと思っていたのだが、目の前でその選択をした人を見て、そういう生き方があるのだと初めて気がついた。
その日以降は、変わらず技術を学び続けながら、胸の裡では自分自身で稽古会を主宰するならどのように行なうかをも考えた。
不実な弟子である(笑)

あの頃の日々と、代表となった今とでは稽古のあり方は大きく違う。
師も先輩もいない。弟子を育てる義務がある。
互いに砥石となれる門下生を育成することができなければ、いずれお山の大将になって自分の技術が腐る。
次の10年は、弟子を鏡に自らを育てる時間にしなくてはならない。


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武術か、スポーツか

僕にとっては、互いに磨き上げた100%の結晶をぶつけ合うのがスポーツであり、その素晴らしさ。
そうはいっても人間調子が悪くて実力の70%しか出せない時もあるし、じゃあ予め相手を30%にしとけば勝てるんじゃないの、って考え方を始めたら武術かな、と考えている。

とはいえそれは安直なズルに頼れということではなくて、柔の身体や中心感覚に基づいて、自他を含めた場のコントロールを握る確かな技術が必要になる。
卑怯な戦い方をするために、実直な稽古を積み重ね、嘘偽りのない技量を身につける。


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プロフィール

ピンクさむらい

Author:ピンクさむらい
東京都武蔵野市にて、古武道萬葉塾を主宰。

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