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座技

座技

座り技の要諦は脚を遣うこと。
といっても、低い姿勢で下肢の筋力を鍛えるとか、そういうことじゃない。
座して脚部を動かせない条件でなお、確かに遣える脚の基点を目覚めさせること。


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萌芽を大事にする

萌芽を大事にする

ちょっと気の利いた工夫を思いついて、これで自分の動きが随分と改善されるように感じることがある。
ところが対人で検証してみると、思ったほどには劇的な効果を上げるものでもない。
なあんだとがっかりして、そのことは綺麗さっぱり忘れてやり直し。

ではもったいない。
アイデアは優れていても理解が浅い、使いこなせていない、さらに応用が必要。
そういう理由ですぐには結果に繋がらないことはよくある。
最初のひらめきを信じて、しばらく掘り下げて稽古を重ねてみる。

あとは上位者、特に指導員の役割だ。
ちょっとした進化の兆し、時には本人も気づいていない美点を、たとえ微弱であっても、まだまだ通用しなくても、それを見つけて拾ってあげること。

せっかくの萌芽を潰しちゃダメ。


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武術と運動神経

武術と運動神経

今でこそ古武道の先生として偉そうに身体の遣い方を教えているが、実は子供の頃から運動は大の苦手だった。
逆上がりも後転もできないまま義務教育を修了し、ボールを投げれば5m離れた相手にストライクが入らない。
手元に残っているスポーツテストの結果表によると、握力は中3で20kgしかなかった。
長距離走だけはそこそこ速かったが、それ以外は何をやってもずっと最下位レベルであったと思う。

そういうわけで、今の僕がやっていることは素の身体能力ではなく、全て意識的に積み重ねた技術によるものだ。
如何に立つか、如何に歩むか、如何に上げ、如何に下ろすか、逐一理屈を考え抜いて感覚を作り込んだ。
そもそも武術というのは自分より優れた相手を想定したところから始まるのだから、心身の遣い方を根本から作り変えていく過程は誰にとっても等しく険しい。
生来の運動神経に自信がない人も、どうぞ遠慮なく門戸を叩いてほしい。

萬葉塾会員の中には日体大の卒業生もいる。
地の運動能力で言えば僕なんぞが身体の動かし方を教えられるはずがないのだが…
術とは不思議なものである。


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試斬の稽古

試斬の稽古

せっかく昨年末に真剣を買ったことだし、実に三年ぶり以上で久々に物を斬ってみた。
台の上に固定せず置いただけの牛乳パックは、力めば潰れて吹き飛んでしまいこれはこれで難しい。
動く人間相手ならその場の変化でどうにかできていたものも、対物になると細かな身体遣いの甘さがよく解る。

結果は大して出来のいいものではなかったが、斬るためだけの稽古をしない、という意味は以前よりも見えてきた。
必要なのは試斬のための技術を身に付けることではなく、普段の対人稽古での動きを真剣ならば斬れて当然のものに練り上げていくこと。


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十手の研究

十手の研究

先日拵えた十手を、稽古場で色々と実験してみている。
当初は小太刀の用法を応用すれば何とかなるかと考えていたが、どうやら思い違いをしていたらしい。
逆だ。十手が基本なのだ。

正確には、ある程度剣術を身に付けた者が十手を持つことで根本の原理を再確認できる、というところだろうか。
そもそも道具はシンプルに留めて、扱う人間の性能を向上させていくことを日本武道の方向性と考えている僕にとっては、相手の武器を搦めとる目的に特化させた形状には違和感があった。
しかし、鉤に頼って即物的に用いるのではなく、あくまで相手の中心を制することを忘れなければ、不思議なことに刃のない武具である十手が刃筋というものをより明確に教えてくれる。
稽古するうち、指導員の一人は十手を指して『補助輪』と称した。
言い得て妙である。
やがて鉤は要らなくなり、あるいは全ての剣に視えない鉤が生まれてくる。


そして、やってみて解ったことがもう一つある。
日本人は十手を持つと『御用だ』と言わずにいられない(笑)


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刃で撃ち合う



最近、Youtubeに公開していた剣術動画にコメントが二件着き、それが両方とも同じ主旨のものであった。
『刀同士をまともにぶつけ合わせて戦っていたら、すぐに刃が欠けて斬れなくなるよ』という内容。
結論から言うとその通り、薄く鍛えた日本刀の刃を打ち合わせたらボロボロに欠けるし、最悪刀身ごと真っ二つに折れる。
刃物での戦いは極力相手の武器との接触を避けるのが正しい。

それを承知で、萬葉塾では木刀を激しくぶつけ合う。
とりわけ初心のうちに、まずは相手の身体を乗せた渾身の打ちをまともに受け止める訓練をする。
実戦では絶対に陥ってはいけない致命的な状況だが、これを識ることで互いの刃圏が衝突するその点が観えてくる。
これが解って初めて、刃筋を遣い、足を遣い、正面からの激突を避ける太刀筋に進むことができる。

稽古には段階がある。
一見して実戦的でない技法にも、ちゃんと本質に辿り着くための意味があるのだ。


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褒められる

褒める

萬葉塾の稽古では、僕も指導員もよく褒める。
剣先が伸びてるとか、足遣いが柔らかいとか、型の求める学びに忠実な動きをしてるとか、各人の長所を見つけてはすぐ褒めちゃう。
とはいえ、ただ調子のいいこと言ってやる気を引き出そうとかいうことでは決してない。
教える側も日々充分な訓練を積んだ上で、他人の長所短所を的確に見抜けるようになることが、自身にとっての武の一部だと解っている。

だから褒められた時には、『いえいえ、そんなことありません』とは言わないでほしい。
謙遜の美徳を認めない萬葉塾においては、それは即ち『先生の観察眼は間違っていますよ』という意味になるのだ。
時に本人も気づいていない美点を指摘することで、この先の努力の方向を正しく導くことを計算して指摘している。
一見して腑に落ちない称賛であっても、その意味をよく反芻して、自分の現在位置を正しく認識するための標石としてほしい。

それに、悪い動きも同じく率直に指摘するから大丈夫。
僕より30歳も年上の会員にも、『この型はまだまだヘッタクソですねえ』とか平気で言っちゃう。
良いも悪いも先生の指導を素直に受け取って、工夫を重ねて頂きたい。


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稽古の目標

稽古の目標

「大会があるんですか?」
つい先日、お借りしている会場の職員からこう訊かれた。
同様の質問は時たま受けるが、僕らの古武道には組織だった大会も競技化された試合もない。
人前で演武を披露したのさえ、もう二年近く前になる。
確かに、大の大人が何を目指して一生懸命棒切れを振り回しているのか、不思議に思われるのかもしれない。

会員それぞれが何を求めているのかは解らないが、僕にとって稽古を支える目標というか、原動力のようなものは、自分自身の内に得られる上達の実感そのものだと思っている。
昨日までできなかった技術で身体を遣えるようになる。
今までとは違った感覚で自他を、世界を捉えられる。
それ自体に喜びを感じられれば、華やかな舞台がなくても稽古を続けていくことができる。


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棒術の研究

棒術の研究

最近は夜毎、自宅前の路上で六尺棒の稽古に精を出している。
街灯の下180cmの白樫棒を振り回す姿を、近隣の住民はさぞ不審に思っているに違いない。
稽古と言っても、棒術に関してはそこまで掘り下げて学んできたわけではないので、まだまだ手探りの状態である。
とりあえずは廻したり、打ったり突いたり、同じ系統の杖術と遜色なく取り扱えることを目指しつつ、より長大な棒ならではの遣い方を探っている。

とりあえず、まずは棒の重量に踊らされないところまでは来たように思う。
不思議なもので、片腕で20kgのダンベルを扱える腕力があっても、1kgを少し超える程度の棒を力で制するのには苦労する。
決して体を開かず、常に自分の正中と結び、肚からの動きを起点に操ってゆく。
他の全ての武器にも通底する基本原理が、手先では遣い難い長物に接することでよりはっきりと見えてきた。

おまけに、いくら技術で扱うことを心がけてもやはり身体にはそれ相応の負荷がかかる。
動いてるうちにナチュラルにガタイも良くなりいいことずくめである。


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脱力の先

脱力を知る作業は土地を均すのに似ている。
無駄なこわばりや染みついた体癖を抜き去り、まずは混じり気のない更地を整える。

ここまででも充分に大変だが、その先はそこにしかるべき力の道筋を通さなくてはならない。
局所的な発力に頼らず、深部から身体を繋ぎ、柔らかくかつ力強い流れを作っていく。
それはただ力を抜き去るだけで得られる受身の柔らかさとは違う。
動作に際してプラスに働く身体内部のその力感を、氣と表現する人もいるかもしれない。

力に頼らないということは、どれだけ力を巧く遣えるかの勝負ということでもある。


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プロフィール

ピンクさむらい

Author:ピンクさむらい
東京都武蔵野市にて、古武道萬葉塾を主宰。

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