稽古日誌 2018.08.25
稽古日誌 2018.08.14
今日の参加者は2名。
柔術を多めに稽古を組み立てました。
相手を崩し、地面に転がすことを結果としておきながら、格闘技とは違うんだと嘯く。
そんな稽古にどんな意味合いを持たせて、何を得ることができるのか、僕自身の命題に付き合ってもらいました。
古武道萬葉塾HP
柔術を多めに稽古を組み立てました。
相手を崩し、地面に転がすことを結果としておきながら、格闘技とは違うんだと嘯く。
そんな稽古にどんな意味合いを持たせて、何を得ることができるのか、僕自身の命題に付き合ってもらいました。
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裡にしまっておく
武術に限らず、何事も道を極めんと懸命に取り組んでいると、ひどく自分の小ささが感じられていたたまれなくなることがある。
自分は覚えが悪い、才に恵まれていない、自分がぶつかる壁を簡単に乗り越えていく人がいる。
そういう煩悶が生まれるのはごく自然。
でも、口には出さない。
焦りや悩みは胸の中にそっととどめておく。
モヤモヤした苦しさを抱えたまま、ガス抜きのための逃げ道を与えず、ひたすらに努力と工夫を重ねる。
すると不思議なことに、裡に蓄えられた懊悩は翻って進化のためのマグマになる。
いつかその先のレベルに、自分自身を引き上げてくれる。
裡にしまっておく、ということ。
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自分は覚えが悪い、才に恵まれていない、自分がぶつかる壁を簡単に乗り越えていく人がいる。
そういう煩悶が生まれるのはごく自然。
でも、口には出さない。
焦りや悩みは胸の中にそっととどめておく。
モヤモヤした苦しさを抱えたまま、ガス抜きのための逃げ道を与えず、ひたすらに努力と工夫を重ねる。
すると不思議なことに、裡に蓄えられた懊悩は翻って進化のためのマグマになる。
いつかその先のレベルに、自分自身を引き上げてくれる。
裡にしまっておく、ということ。
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黒を作る
「黒の絵の具は使わない」
細かい記憶が曖昧なのだけれど、たぶん中学校の美術の時間に言われたのだと思う。
「画面に黒が欲しいとき、黒の絵の具を使うことはしない。
その代わり、白と黒以外の色をたくさん混ぜ合わせて自分で黒を作る。
そうしてできた黒はただチューブから搾り出した黒よりも深みがある」
武術の修行にもそれは言える、と思う。
優れた人は非常にシンプルな言葉を使う。
「ただまっすぐに斬るだけだ」
でも実はその言葉の陰には膨大な試行錯誤があって、上下・左右・前後、様々な要素が複雑にバランスを成した上での『まっすぐ』だったりする。
表面だけ見ていてはそれはわからない。
だから、時には遠回りに見える稽古にも意味がある。
早く画用紙を黒に塗りたいのに、自分はなぜ緑やら紫やらを混ぜ合わせているのか。
実はそれは、最後にとても単純な一筋の剣に辿りつくために不可欠なことなのかも知れない。
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細かい記憶が曖昧なのだけれど、たぶん中学校の美術の時間に言われたのだと思う。
「画面に黒が欲しいとき、黒の絵の具を使うことはしない。
その代わり、白と黒以外の色をたくさん混ぜ合わせて自分で黒を作る。
そうしてできた黒はただチューブから搾り出した黒よりも深みがある」
武術の修行にもそれは言える、と思う。
優れた人は非常にシンプルな言葉を使う。
「ただまっすぐに斬るだけだ」
でも実はその言葉の陰には膨大な試行錯誤があって、上下・左右・前後、様々な要素が複雑にバランスを成した上での『まっすぐ』だったりする。
表面だけ見ていてはそれはわからない。
だから、時には遠回りに見える稽古にも意味がある。
早く画用紙を黒に塗りたいのに、自分はなぜ緑やら紫やらを混ぜ合わせているのか。
実はそれは、最後にとても単純な一筋の剣に辿りつくために不可欠なことなのかも知れない。
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恍惚のひと
僕が古武道を始めるより前、大学を出て老人ホームに勤めていた頃のお話。
入居者は全員が認知症だったのだが、中でもとりわけ重度におボケになられたじいさまがいた。
会話はほとんど不可能なくらいだが、食欲はがっつり残っており、他人の食事に素手を突っ込んで食べちゃったりする。
ある日の食事時、やはりじいさまが隣の皿から強奪し始めたので、僕が両手首を摑んで止めたのだが。
止まらないのだ。
すごい出力だ。
あうーとか言いながら、何事もなかったかのように摑まれたままに手を動かして食べ続ける。
そもそもどうやら摑まれていることにすら気づいていない。
普通なら起こるはずの力みやら生理反射、そういうものがまったくないのだ。
完璧なまでの平常心で、淀みなく身体が動いていく。
達人を見た。
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入居者は全員が認知症だったのだが、中でもとりわけ重度におボケになられたじいさまがいた。
会話はほとんど不可能なくらいだが、食欲はがっつり残っており、他人の食事に素手を突っ込んで食べちゃったりする。
ある日の食事時、やはりじいさまが隣の皿から強奪し始めたので、僕が両手首を摑んで止めたのだが。
止まらないのだ。
すごい出力だ。
あうーとか言いながら、何事もなかったかのように摑まれたままに手を動かして食べ続ける。
そもそもどうやら摑まれていることにすら気づいていない。
普通なら起こるはずの力みやら生理反射、そういうものがまったくないのだ。
完璧なまでの平常心で、淀みなく身体が動いていく。
達人を見た。
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折れた!
『絶対折れない』という触れ込みの、米コールドスチール社ポリプロピレン製木刀、BOKKEN。
剣術稽古にて、激しい型の打ち合いの最中…

折れた!!
まっぷたつ!!!
よく見ると断面に気泡が入っている。
長年の使用でダメージが蓄積し、ここからポッキリ折れたらしい。

結論。
BOKKENも折れる。
でもこれ、通常使用でブチ折った奴は世界中でもあんまりいないと思う。
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真理と逆説
不思議なもので、武術の稽古に取り組むうち、理合はしばしば逆説の姿でやってくる。
速く動くために、ゆっくり稽古する。
強くあるためには、力を抜く。
右を活かすために、左を遣う。
廻るためには、まっすぐ進む。
末端を活かすために幹を遣い、幹を遣うために末端を意識する。
剣を知るためには素手、素手を高めるためには剣。
斬るためには、斬ろうとしない。
浅薄な思い込みはたいてい真逆を向いている。
武術に限らず、案外万事こんなものなのかもしれない。
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速く動くために、ゆっくり稽古する。
強くあるためには、力を抜く。
右を活かすために、左を遣う。
廻るためには、まっすぐ進む。
末端を活かすために幹を遣い、幹を遣うために末端を意識する。
剣を知るためには素手、素手を高めるためには剣。
斬るためには、斬ろうとしない。
浅薄な思い込みはたいてい真逆を向いている。
武術に限らず、案外万事こんなものなのかもしれない。
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小太刀を作ろう!
剣術の稽古で用いる木刀は、だんだんとささくれてきたり、時にはまっぷたつにへし折れて使い物にならなくなったりする。
そんな傷んだ木刀は燃えるゴミに出してしまってもいいのだが、一手間かけてやれば、小太刀に生まれ変わってまた稽古で活躍してもらうことができる。
まずは大体の長さで、上下をノコギリでちょん切る。

剣先部分をデザインして、小刀でおおまかに削り出す。
そこから紙ヤスリで少しずつ形を整えていく。

柄頭部分も手に痛くないよう角を落とし、ヤスリがけして、

完成!

多少の根気さえあれば全然難しくはない。
電動工具があればもっと楽ちん。
だけどさ。

…あと何本仕上げりゃあいいんだ。
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そんな傷んだ木刀は燃えるゴミに出してしまってもいいのだが、一手間かけてやれば、小太刀に生まれ変わってまた稽古で活躍してもらうことができる。
まずは大体の長さで、上下をノコギリでちょん切る。

剣先部分をデザインして、小刀でおおまかに削り出す。
そこから紙ヤスリで少しずつ形を整えていく。

柄頭部分も手に痛くないよう角を落とし、ヤスリがけして、

完成!

多少の根気さえあれば全然難しくはない。
電動工具があればもっと楽ちん。
だけどさ。

…あと何本仕上げりゃあいいんだ。
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稽古日誌 2018.08.04 萬葉塾稽古場開き
本日を以て、武蔵野古武道研究会改め、古武道萬葉塾(ばんようじゅく)として新たに発足致しました。
初稽古には6名が参加。
柔の受身、剣術の受け、居合の刀法等、おざなりにはできない基本の稽古のみに時間を費やしました。
どう立つか、どう歩むか、どう観て、どう感じるか。
まずは見た目の器用さよりも、そういった根本の考え方を伝えながら、自身の基礎をもう一度組みなおしたいと思っています。
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初稽古には6名が参加。
柔の受身、剣術の受け、居合の刀法等、おざなりにはできない基本の稽古のみに時間を費やしました。
どう立つか、どう歩むか、どう観て、どう感じるか。
まずは見た目の器用さよりも、そういった根本の考え方を伝えながら、自身の基礎をもう一度組みなおしたいと思っています。
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