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剣を受ける

剣を受ける

初心者が初めて相手に向かって木刀を打ち込む稽古が斬返(きりかえし)であり、その次には反対に相手の斬返を『受ける』稽古をすることになる。
萬葉塾においては、この受けを大切な基本として重視し、徹底して身につけてもらっている。
頸部を狙った速く重い打ちを相手に、受け損ねれば大怪我をする可能性もある。
上級者の巧みな打ちは脅威だし、かといって素人の出鱈目な剣筋もまた厄介だ。
この受けがある程度満足にできるようになって初めて、お互いに攻防をやり取りする型稽古に進むのが、安全性においても技術の積み重ねという点においても妥当であろうと考えている。

またそれは、剣を学んでいく上での心の構えを知ることでもある。
攻め込まれる恐怖に身が竦んでしまうこともあるが、逆に打たれている最中だというのに今一つ危機感が足りない人もいる。
剣術において、初めから上位者の手加減を見込んで臨んではいけない。
どんな熟練者だって、ふとした拍子に手元が狂うことはあり得る。
手順の決まった型稽古を通してなお、極限の状況下で斬り結ぶ技量の習得を目指すのだから、上級に進むにつれそれはますます危険な、ギリギリの紙一重を狙った攻防になっていく。
柔らかく落ち着いていることは大切、しかし自分は命を危険に晒す稽古をしているのだという緊張感も共存している、そういう備えの在り方を受けの稽古を通じて見つけてほしい。


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古武道とは何か?

古武道

そもそも古武道とは……『明治維新以前の日本において発祥した各種武術の総称』、という定義になるだろうか。
それ以降に隆盛した現代武道、例えば柔道や剣道なんかと区別するために後世になって作られた、いわゆるレトロニムと言われる語だ。
エレキギターが誕生して、それまでただ『ギター』と呼ばれていた楽器が『アコースティックギター』になったのと同じである。
江戸時代のお侍さんが自分たちのやってることを『古』武道だと思っていたか?
そんなはずはない、彼らにとってはそれが現在進行形だったのだ。

しかもそこには、武芸十八般とも言われる様々な技芸が含まれる。
剣術、居合術、杖術、柔術、弓術、十手に薙刀、馬術に砲術、さらには水泳術なんかも入ったりする。
さらにそのそれぞれに千差万別の流派が存在し、〇〇流、△△流、その一つ一つがまるで違ったことを伝えているのだ。
そう考えると、古武道とはこういうもの、という共通する前提なんか存在しないことが解ってくる。

だから僕は、自分たちにとっての古武道はもっと個人的なものでいいと思っている。
伝統ある流儀を次代に受け継いでいく立場の方々にはまた別のご苦労があるのだろうが、そうした責務も古式の復刻といったことへの関心もない以上、僕は理に適った心身の遣い方を探究するために、便宜上古武道と呼ばれているそれを選んだに過ぎない。
古流の型を用いて稽古し、しかしながらその稽古法も先人とは大きく異なっている部分が多いであろうことを承知の上で、そこから読み解かれ自身の裡に染みついていくもののみに価値を置く。
曖昧な古武道の枠すら明らかに逸脱することもしばしばあるが、それが根源の理に近づく助けになるならそれもまた良し。

萬葉塾において『古武道』という概念の持つ意味合いはそんなところである。


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二刀の剣術

二刀

来週末に開かれる公開講座に備える意味もあり、ここ最近は二刀の稽古に多く取り組んでいる。
二刀流と言って最初に思い起こされるのは、やはり宮本武蔵だろうか。
流儀によって色々のようだが、僕らの二刀は右手に大太刀、左手に小太刀を構える一般的なスタイルである。

漫画やゲーム等、フィクションにおける二刀使いは大概スピード特化の強キャラだったりするが、実際にやってみるとそんなに有利なものでもないというのが正直なところだ。
両手持ちの一刀に対し、片手遣いの二刀ではそんなに速くは触れないし、単純な破壊力では比ぶべくもない。
自然と相手の攻撃をまともに受けずに捌く戦い方に意識が向くが、そもそもそんなに動けるなら刀は一本で足りる。

むしろ、少なくとも現時点での習熟度においては、二刀型は自らを不利な状況に置くことでの学びと捉えている。
一刀を自在に操る打太刀に対し、扱い難い二刀はいかに活路を見出すべきか?

どうやって精緻に剣と体を合致させ、一刀に抗し得る圧を生み出すか。
長短二本の刀をどう使い分け、間合の変化を自分のものにするか。
誘いと捌きの意味をどれだけ深く理解し、空間を制していけるか。
そこから得たものは当然、二刀を捨て一刀に還った時にも存分に活かされる。


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刀の長さ

刀の長さ
(上から木刀/二尺四寸五分/二尺五寸/二尺七寸/二尺八寸)

通常、居合の稽古においては真剣の代用として合金製の模擬刀を用いるが、その重要な要素の一つに刀の長さ、がある。
抜ければ良いのであれば当然短い方が容易く、長い刀を扱おうと思ったら相応の技量が必要になる。
ほんの一寸、3cm程度の違いが使用者にとってはまるで別物となり得る。

萬葉塾では、常用する模擬刀は刃長二尺四寸五分(約74.2cm)を基準とし、あるいはそれ以上の長さのものから選んでもらっている。
おそらくこれは、一般に多くの居合道場が定めるものよりもだいぶ長い。

もちろん、長い刀には長い刀の、短い刀には短い刀ならではの学びがある。
それでもこの長さを基準としているのは、現に小柄でもこれ以上の長さを無理なく使いこなせる会員がいること、そしてそもそも剣術稽古に用いる木刀がこの長さで作られているからだ。
短軀を理由に短い模擬刀を使ってしまったら、じゃあその木刀どうやって抜いたことになってるんだよ、となる。

あ、剣術用の木刀もちょん切って、短くして使うんならOKだね。
それなら筋は通る。


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せんせいはうそつき

せんせいはうそつき

指導者の言葉というのはいつも変わらず、正しく一貫しているものなのか。

残念ながらそんなこたぁない。
実際、僕は弟子に対して教えることがちょこちょこ変わる。
肘って言ってたのが背中になったり、横からやってたものが縦からになったり、ひどい時は素振が一種類、やっぱりいらないやって消滅しちゃったりもする。

でも、それで良い。そうでなくてはいけない。
変わるのは指導者自身が常に考え、より高い技量と理解を求め続けているからだ。
むしろ何十年も変わらず、同じことを同じ言葉で教えている先生の方がヤバイ。

技芸をきちんと身につけようと思ったら、自らさらに上達しようと思っている先生に習わなくちゃいけない。
そしてそういう先生は、自身を改めるたびに以前の教えを書き換えながら進んでいく。


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プロフィール

ピンクさむらい

Author:ピンクさむらい
東京都武蔵野市にて、古武道萬葉塾を主宰。

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